ファンタジーお化け屋敷みたいな作品とは違うメイドインアビス

連続雑記チャレンジ5日目。

ある日の雑談で、友人がこんなことを言っていた。

ファンタジーお化け屋敷みたいな作品と違って、メイドインアビスは世界観がしっかりしているから展開に説得力がある」

正確な言い回しは覚えていないけれどこんな感じ。これについて思ったことを書く。

ファンタジーお化け屋敷?

まず、ファンタジーお化け屋敷は(おそらく)その友人の造語。定義を言葉にしてもらったわけじゃないけれど、ファンタジー世界観でお化け屋敷をやっているジャンルというくらいの感覚でよさそうだ。お化け屋敷は体験者をびっくりさせるアトラクションで、ここではびっくりさせるためだけに必然性のないびっくりを発生させているということが含意されていると思う。

友人は、衝撃的な展開が魅力ながら世界観の裏付けによって有象無象なお化け屋敷からは抜けた作品、としてメイドインアビスを捉えているようだ。 メイドインアビスは自分も面白いと思うけれど、こういう捉え方はしていなかった。

思わず聞いた。 「逆に単なるファンタジーお化け屋敷な作品って何?」

良かった。憐れな引き立て役のお化け屋敷はいなかったんだね

聞いてみたところ即答はなく、その後いくつか思いついたように作品を挙げたけれど、実際のところはメイドインアビスを持ち上げるための修辞に過ぎなかったようだ。 ちなみに、エルフェンリートは違うらしい。

悲しき引き立て役のお化け屋敷はいなかった、めでたしめでたし――なのだけれど、なぜこういう修辞をしたのか考えてみる。

胸を張れ!! その作品は面白い!!!!

具体的な作品名はなかったわけだけれど、実際のところニュアンスは分かる。パニックホラーとか、サスペンスとか、ポストアポカリプスとか、きっとそういうジャンルにはお化け屋敷は多い。

そういう作品は、なんというか程度の低いという扱いを受けることもある(ここではその是非は取り扱わない)。メイドインアビスという作品は衝撃的な展開が魅力のひとつではあるので、もしかしたら同じように認識する人もいるかもしれない。しかし、それは違う! メイドインアビスは練り込まれた世界観で――

推測だけど、そういう意識の運びがある気がする。自分の好きな作品に対する他人の見方への、一抹の不安。それがファンタジーお化け屋敷とは違う、という修辞なのだと思う。

胸を張れ!! その作品はそんな修辞しなくても面白いぞ!!!!

なお、考えがあれば

これだけだと何かを褒めるのに何かを持ち出すな話なのだけれど、個人的には別に何かを褒めるときに比較を持ち出すのは構わないと思っている。ただ、やっぱりそこに考えは欲しい気はする。何かと較べてここが良いと思ったと話したとして、それはその人の考えだし、同意できなかったら考えの違いで済む話。逆にそれがないと、意図を推測したい気持ちにはなる。

人によっては単なる修辞で本当に何もないですけど……ってなったりするのだろうか。 自分は考えがあって持ち出すより単なる修辞で比較を持ち出す方が「えっ」っとなるのだけれど、このあたりの感覚は人によって違いそう。

なにやらまとまらず Fin.