公開しない動画をつくることを楽しんでいた人を凄いと思った話

連続雑記チャレンジ7日目。

自分が密かに尊敬している名もなき動画制作者の話をする。

その人は自分の友人で、「名もなき」と言っているが実際にはちゃんと活動している。名もなきというのは「○○っていうクリエイターが好きで」みたいな話ではないというくらいの意味。

その人があるとき、身内向けの動画制作作業配信をしていた。 あるゲームに関するプレイの解説動画で、いわゆる「biim兄貴リスペクト」というフォーマット(ある時期にニコニコ動画で流行り、定式化した形式のひとつ)を取っていた。

このフォーマットの動画制作ではゆっくりムービーメーカーというツールを使うのが定番なのだけれど、その人は普段使っているプロユースのツールで作業していた。「これしか使えないのよ」と謙遜していたが、手慣れた様子でスムースに動画が組み立てられていく。

使っているツール及びその人の腕・センスからか、動画のルックスは典型的なものよりとても洗練されていた。内容そのものは解説動画なのだけれど、つくり手の技術・センス・かける時間などの要素でこういうふうにもなるんだな、と感じた。

作業は進んでいき、この動画はどう公開するのか、という話題になった。

驚き

公開しないけど

びっくりした。自分がつくりたいからつくっているけれど、公開して誰かに見せることを想定していないということだった。

「もったいない」という言葉が口をついて自然に出た。自分には、公開せずにしまい込むクオリティには見えなかった。もしかしたらその人の技能からすれば手なりでできる範囲だったのかもしれないけれど、同種のものの多くより動画としてきちんと制作されたもののように感じるし、内容だけで見ても公開すれば楽しく見る人はいるように思えた。

創作における内発的動機づけが――みたいな話につながるエピソードだけど、今回は単に驚嘆の感情を素直に書きたい。

自分も一時的動画制作の真似事みたいなことをしていた時期があって、動画制作はちょっとやってちょっとできるみたいなものじゃないことは身に沁みている。そして、動画に限らずなにかを創作するとき、少なからず手間をかけたのであれば人の目に触れてほしいという気持ちが湧くのは普通だと思うし、自分であればそう感じる。

それを押しのけて、自身の楽しみのためにただつくる。

もしかしたら付随的な目的もあったのかもしれないし(学習したなにかの技術の試しとか)、あるいは人の目の成分を身内という輪で補えた部分があったりはするかもしれない。でも、話を聞く限り主軸はやりたかったからやったという部分にあるようだった。また、たまに同様の作業配信をするので、動画制作そのものがその人の人生の楽しみの一部を構成していることは疑う余地はなさそうだ。

動画制作だいすきモンスター。驚嘆。

というわけで

冒頭で書いたとおりこの人のことは密かに尊敬していて、このエピソード以外にも芯がある人なんだなと感じさせられることが多い。自分も自分の心に嘘をつかないようにしたいとは思っているけれど、自分の「楽しい」ですら正直でいることは実は難しいと思うので、それをできる人は本当に凄いし、それができる人は自分には魅力的に映るんだと思う。


そんな感じで、テキストを1週間書く当初の目標をなんとか達成。 一区切りにするけれど、考えていることを書き散らす場として以降も気が向いたら何か書く感じでいこうと思う。